◇白夜◇

 

番外編:記憶

 


 

一人でした。ずっとずっと一人でした。

……寂しかった。ずっとずっと寂しかった。

だから、だから僕は、僕が嫌いです。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

「ねえ、聞こえてるの?」

ぼうっとしていたのか声をかけられていたことに気づかなかった。

「え、何?」

「聞いてないの? まったく。ここがわかんない」

「あ、うん」

彼女はテキストと魔道書を差し出した。指で指された部分を見て、テキストにその訳を書く。

「これでいいよ」

そういったのに。彼女は僕を怪訝そうな顔で見つめ続けた。

「どうしたの? シモン。怖い顔してる。そんなに怒った?」

「ちが〜う。ねえ、あんたここんところ変じゃない? というより、雪が降り始めてから」

 数日前から雪が降り続けている。世界を白に染める雪。何もかもを覆う雪。吐息も白くなる。

 何も答えない僕を今度は心配し始めたのか? シモンは僕の顔を覗きこむ様に見た。

 降る雪のように白い肌。強い意志を感じさせる青い瞳。雪の中にある、青い炎。

 ホントに、僕と似ているのだろうか? 僕が彼女に感じるものを、彼女も感じてくれているのだろうか……。

「雪は、寒いからね……」

 手で、シモンの頬に触れた。そのまますっと頬に沿って下におろす。さらさらしてる。

 殴られた。

「なにすんのよ! えっち!」

「う〜、シモン痛い〜」

「殴ったの! 痛くて当たり前!」

「お嫁さんいけなくなっちゃうよ」

「行けないのが普通!」

「僕の代わりに婿に行ってね」

「それも不可っ!」

 僕は笑った。

「あははっ〜」

「私をイラつかせて、面白いわけ……?」

「うん」

 まだ殴られた。

「まったく! いいやもう。後は自分の部屋でやるっ!」

 乱暴に扉を開けて出て行った。

 ……これで、また一人。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

 白い、白い雪が降る。

 そんな日に初めて、兄に会った。

 見知らぬ人と会うのは初めてだった。会ったことがあるのは父である王と母である第二王妃。そして、僕を世話する女官達。

 ある程度大きくなるまで、子供たちは領地内から出られない。見知らぬ人のいない空間。

 季節は冬。雪が初めてで、たいした厚着もせずに外へと飛び出した。

 はじめは良かった。夢中になって遊べていたから。

 でも、疲れて、手を休めてときに気づいた。ここはどこだろう?

 涙は出ない。泣いてはいけない。僕は王子だから。

 そう言い聞かせて歩き回る。さっきまで、すべての幸せを混ぜた色だと思っていた白が、とんでもなくそっけない、そして恐ろしいものに見えた。

 僕を拒絶する色。何も見えない。全部白。

 風が強くなって、何がなんだか分からない。

「だれか、いないの?」

 泣きそうだった。

 止まれない。止まったら泣いてしまいそうだから。

 ひたすら歩き続けた。

 いきなり、腕をひっぱられた。

 恐怖した。ついに、死神が迎えに来たんだ! って。

「迷惑をかけるな。バカな弟よ」

 自分より大きな人がいた。

「おにいちゃん、だれ?」

「お前の兄だ。……これを着ろ」

 男は自分の上着を脱いで僕に渡す。厚着はしていたみたいだけど、雪の中、着ていた一枚を脱ぐのはとても寒いこと。

「にいさま?」

「そうだ。……着ろ」

「でも、にいさまが……」

「着ろ。命令だ。着ろ」

「う、うん」

 さっきまで兄の着ていた服は暖かく、とても、安心した。

 初めて会った兄。こちらの顔は絵や写真で知っているかも知れないが、僕はそのときまだ兄の顔を知らなかった。

「帰るぞ……どうした」

「あ、あるけない……」

 疲れていて、安心して。……緊張が途切れた。

「手間のかかる奴だ。……乗れ」

 兄様はしゃがんで、背をこちらに向ける。おんぶだ。

 僕はそれにがしっと乗っかる。

「あ、ありがとう、にいさま……」

「軽いな。お前。もっと大きくなれよ。つまらん」

 三歳も年が上の兄。軽いと言った。すごい。大きい背中だ。

 安心して、眠りに落ちた。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

「あれ、マリアさん。どうしたの?」

 ところどころというか体中がレースだかなんだかでフリフリしている特性メイド服を着ている。新しいなあ。何着目だろ?

「はい、新作のお菓子に挑戦しようかと。古代イベントのクリスマスと言うものを。なんでも恋人同士はチョコを渡し、夫婦は大きなケーキを二人で切り、子供は靴下に自分のお菓子を入れるそうですね。面白いイベントだと思いまして」

 首を傾げた。なんだろ? そんなイベントあったっけ?

「えーと、バレンタインとウエディングと……サンタ、かな? 最後のだけ近いよ。確か」

「そうなのですか?」

「うん。今日シモンと勉強してた魔道書にあったから間違いないと思う」

「そのシモン様に教わったのですが」

 魔道書の内容を思い出す。そういえば、シモンが聞いたあたりの数ページ先にそんな内容が載っていたはずだ。あれからもがんばったんだね。

「途中で帰っちゃったからなあ。まあいいや。どうせだし全部やろうよ」

「はい。ケーキとチョコとお菓子。たくさん作りますね。夜にはできますから」

 夜が、とても楽しみだ。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

 目を覚ましたら、とても怒られた。勝手に外に出たのだから、当然かもしれない。

 兄様のことは話さなかった。

 ホントはまだ会っちゃいけないから。じゃあ、なんであそこにいたの? と聞いたら「弟に会ってみたかった」って言われた。ちょっと嬉しい。

「にいさま」

 今日は、雪が降っていなかった。数日外に出られなかったけど、雪がやんでやっと外に出ていいと言われた。遠くには行かないようにと注意されたけど。

「なんだ」

「ううん。なんでもない」

「ふうん」

 そう言って手に持っていた本を読み出した。

「にいさま。なあに? それ」

「宿題だ。めんどくさい。中でやるより外のほうがはかどるからやってる」

「しゅくだい?」

 持っていた本にしおりを挟んで本を閉じる。

「お前、勉強どこまでやってる?」

「このあいだ、さんすうのたしざんをやったよ」

「ふーん。宿題ってのは教師のいないところでやらなきゃいけない勉強のことだ」

「たいへんそう」

 兄様は笑う。初めてみた笑顔は無邪気で、いままで、不機嫌そうな顔だったから笑ってくれたことがすごく嬉しい。

「クリス。お前、魔術って見たことあるか?」

「まじゅつ?」

 首をかしげた。馬に乗ることだったか? そういったら、「――それは馬術だ」と言われた。

 兄様は何か聞き取れない言葉をつぶやく。

 光が、生まれた。赤い光。暖かい炎。

「わぁ」

「これが魔術だ」

 すごい。すごいと繰り返す。それを見て、兄様は気を良くしたのか、様々な魔術を見せる。

 赤、青、黄色……様々な彩り。白でしかない世界にもたらされた色。

「にいさまってすごい!」

 

 憧れた。どうしようもないほどに。何でもできる兄。なりたい。僕もあんなふうになりたい。

 帰った僕は遊ぶ時間を減らし、魔術の教師をお願いした。

 理論的なことは全然分からなかった。魔術だって、使うことすらできなかった。

 何ヶ月も努力した。挫折、挫折、挫折……。

 でも、自分にはできないとは思わなかった。なりたい。あきらめるなどという言葉は思いつきもしなかった。

 兄様みたいになりたいっ!!

 

 初めて、魔術が使えたのは兄に会ってから6ヶ月目の出来事。ほんの、暗い部屋でようやく少し輝いていると分かる程度の小さな光だったが、確かに魔術の光であった。

 誇らしかった。兄様と同じ力。

 あのときから、暇を見ては兄と会っていた場所に行った。日が当たるけれど、寒々しい印象のある場所。老いた木が一本生えてるだけのそこに兄様はときどきいた。

 週に一回来るかこないか。来るのもいつか決まっていないからなるべく暇をみていった。

 魔術が使えるようになったことを伝えると、兄様は頭を撫でてくれた。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

「はい。お皿です。並べておいてください」

「うん」

「ほらっ、早く並べなさいよー」

「はいはい」

 夕食は二人で取る事にした。今日は、王や兄様などと食べる大げさにではなく、部屋で静かに食事するのを選んだ。だって、クリスマスだからね。

 クリスマス。それがなんだって言うのはよく分からない。偉い人が生まれた日だとか言われても、僕らには関係ない。知識しか存在しないイベント。今はないが、遥かな古代にやっていたそれをやってみるのも、面白いと思う。

「ねえ、マリアさんも一緒に食べようよー」

「私は、すみませんが……。お菓子のほうは一緒にいただきますから」

 マリアさんは、一緒に食事を取らない。本人は『メイドは一緒に食事をしないものだ』と言っている。でも、マリアさんはメイドのかっこして、メイドの仕事してるだけでメイドさんじゃないのになぁ。

 それをシモンに言ったら、

『それはマリアちゃんのこだわりだし、趣味のことはあんまり口出さないほうがいいわよ。あきらめましょ。マリアちゃんのメイド好きは一生直らないって』

 だって。そんなものかな?

 

 食事の準備ができて、僕とシモンが席に着き、マリアさんが傍にひかえる。

 シモンはいきなり僕の食事のにおいを嗅いだ。

「わあ。意地汚いよ、シモン」

「ち〜が〜う〜。毒入ってるわよ。これ」

「あれ〜? 食材は全部チャックしたのになぁ。困ったもんだねー」

「すみません……クリス様……」

「あ〜、別に仕方ないですって。ね」

 シモンはもう一度嗅いでから言った。

「リカバリー、3-142式。大丈夫?」

「ん」

 ポイズケアという解毒の魔術もあるが、毒を身に受ける前に使うならリカバリーだ。毒が薬になったり、強い薬が毒になるように、リカバリーも指定なく使うと体に不調をきたす。

 しかし、どんな毒かわかれば……。

「おいしね〜。マリアさん。おいしいよ。このハンバーグ」

 毒を無効化できる。

「お、確かにおいしい」

「ありがとうございます」

 笑いあう。暖炉は燃え、部屋を暖める。雪は部屋の中には存在せず、窓の外にだけ降る。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

いつからだろうか? 兄様が僕のことを疎ましく想い出したのは。僕は順調に魔術を覚えていった。いや、順調以上……驚異的に、らしい。

褒めて欲しかっただけなのに。

 きっと、自分の昔と比べたのだろう。段々、自分よりできのよい弟を疎ましく想い出したみたいだっだ。でも、それでもまだ兄様は僕を可愛がってくれた。色んなことを教えてくれた。知らないことばっかりで会うのが嬉しかった。

 決定的に嫌われたのは後宮を出てから。自分の力がどれほどすごいのかを知ってから。

 後宮にいた教師は教えてくれなかった。なぜだろう? 自覚する前にすごいと言われると歪んでしまうから、とか言っていた気がする。

 理由は、それだけじゃないと思う。

 兄様の母が死んだこと。

 歌姫であった僕の母。有名な劇の歌い手で、父がそれを聞き、求婚したと言っていた。

 母は、無知だ。何も知らない。政治や、欲望のそれを。

 だから王宮においても、ただの母であった。

 血の繋がらぬ、母のいない第一王子。僕の母でありながら、兄様の母でもありたいと願った。けれど、兄様にすれば偽の母。自分の母は一人のみだと言う。

 先に折れたのは母。

 母は言う。

「お前はかわいい子ですね」

 優しく抱いてくれるのに、その言葉は体に吸い込まれていかない。お前は。お前は。

 兄様。兄様。兄様。

 好きなのに。誰よりも信じてるのに。

 どうして、嫌うのですか?

 

 僕が九歳になった誕生日。差出人の名のないクッキーに毒が盛られていた。

 死ぬほど、苦しんだ。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

「うわあ。マリアさん。すっごい」

「うん。すごい」

 台に乗せられて部屋にやった来たのは巨大なチョコケーキ。しかも靴の形だったりする。

「気に入っていただけると嬉しいです」

「おいしそう」

「はっはっは〜。私なんて食べちゃうわよ〜」

 指で巨大ケーキのクリームを取る。

「ああ、ずるい!」

「今、お切りしますから」

 クスクスと笑いながらマリアさんはケーキを切った。チョコの黒。クリームの白。スポンジの黄色。鮮やかな色合い。

「ね、シモン。これ大丈夫?」

「あー、うん。材料の段階からきっちしやったし、個室で作業してたから大丈夫」

「なら安心だね」

 口に含んだ瞬間、とろけるように広がる甘さ。ああ、おいしい。生きてて良かった。そんな感じのケーキ。

 クレイドルの街のケーキもおいしかったけど、マリアさんのはもっとおいしいなあ……。

 二人も切り分けたケーキを口に運ぶ。

「うん。いい出来ですね」

 ほんとに、いい出来だよね……。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

かつかつかつっ

自分の足音の反響の大きさに顔をしかめる。

長い通路を歩き、仰々しい扉を開ける。

「クリス=シルフィールド=ウィンディー。ご用命につきただいま参上しました。ご用件はいかがなものでしょうか? シルフィード王」

「あまりかしこまらんでいい。今、うるさい宰相はバカンス中だ。もっと気軽に話せ」

 僕はふうっと息を吐き、全身の力を抜く。

「いつもながら、気楽にやってるんですね。父上は。悩みがなさそうでうらやましいです」

会話。会話。会話……。

僕は、なんとなくここに呼ばれた理由がわかった。

父上は言った。兄様と戦え、と。

逃げてもいいけれど戦えと。

「わっかりました! がんばります」

 明るく笑顔。誰の前でも笑顔でいたい。つらいなんて言わない。

 だって、しょうがないことだから。

 戦いは、きっと僕と兄様のどちらかを死なせる。

 廊下に出、扉を閉める。

 誰もいない、ひんやりとした通路。

 

 僕は、一人で泣いた。

 ……一人で、泣いた。

 


 
 
 
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