◇白夜◇ 番外編:孤独の王子 |
風竜王国。 世界に七つある大国。世界の基礎であるとも言われる神竜の加護を受けし恵みの地。穏やかな風の吹くこの国、ウィンディーには二人の王子がいた。 一人は長男である第一王子ジョイル。もう一人は次男である第二王子クリス。 王妃が死に王が見初めた歌姫に子供が生まれるも、第二王妃の生まれの下賎もあり、第一王子が国を継ぐことは確定の事と思われていた。 けれど、次第に第二王子の資質と気品が人々の目に留まりだした。人は言う。『彼こそが王になるべきだろう』と。 ◆◆◇◆◆ 「お茶が入りました」 「……ああ」 窓に腰掛け、遠方を眺めていた俺に執事が声をかけた。 初老の、しわが年々深く、多く刻まれてゆく男。けれどもそこには折れることない一本の鉄が埋め込まれている。 その背筋は真っ直ぐ伸び、老いを匂わせない。 「お飲ませします」 普段より幾分ぬるめのそれは執事の手により口へと流されてゆく。 もう、自分の手で何かをすることはできない。なぜなら両の腕を失っているからだ。 「お辛いですか?」 けれど、その問いにはすぐさま返事を返すことができなかった。正直、わからないのだから。 にくんでいる。そう、にくんでいた。 半分血のつながった弟であるクリスを恨んでいた。けれどそれは王への道の障害に向ける思いであり、弟へではなかったかもしれない。 王になりたいと思っていたから、王になるかもしれないクリスを憎み、疎ましいと思ったのだろう。確かに、といえるほどのものでなく、様々な思いが混じったものであるけれどその考えは正しいような気がする。 だが……裏切られたとは思った。 大切に思って……そう、母がいながら歌姫なんぞを囲い、子をなした父と、媚を売り、へつらうゆがんだ笑顔の義母よりもずっと大切に思って、いた。 面白かったのだ。 あいつを構うのは面白かったのだ。何かにつけ、「にいさま」「にいさま」と呼んで、まとわりついて、泣いて、笑って。 誰よりも美しい笑顔をする奴だった。 その髪は黄金。美しく輝く陽光以上の透き通ったその色は高められた王族という名の宝石のなかでも最高の至宝。魅了せぬものはなく、それを抱きしめたいと、自らのものにしたいと願わぬものもいない。そうと思うほどに入れ込んでいた。 弟に狂っていた。 その世界最高の宝石が、しかも自分だけの手で輝いていることは、至福以外の何者でもなかった。 勉強が難しい。母が厳しい。先生が怖い。トイレにいけない。 様々な不満があって、でも「俺はそうでもないな」と答えれば尊敬を返した。 出合ったそのときからもう俺には王として兄としてのプライドがあったからそっけなくは振舞っていたけれど、俺は弟を溺愛し、弟もまた俺を愛していた。 「辛くは、ないな」 それどころか、今は逆に清々とさえしている自身がいる。その事実に驚きつつも、『ああ、やはりそうだったのかもしれないな』とふと思う。 王になりたかった。そう、王になりたかった。 俺には王以外の道はなかったのだから。俺は王として生まれ、育ってきた。 王になると。立派な王になると。守りたいものすべてを守る、と。 その思いが捻じ曲がったのはいつからだったのだろうか。 王になるというのが手段でなく、目的になってしまった。自身を高めるのではなく、他者を貶めることの手軽さを知ってしまった。 なぜそれを知ることになったかといえば、そう、感じていたからだ。 弟の、才気を。 ◆◆◇◆◆ 冬の日だった。 ぱちりぱちりと音を鳴らす暖炉にあたりながら、書を読みふけっていた。 しかし、次第に退屈になった。 「退屈だ。何かないか?」 「そうでございますねえ。弟君の話などはどうですか? ジョイル様」 「弟……ああ、あの女の、子供か。あのようなもの、捨て置け」 弟になんて正直興味はなかった。そもそもがあの下賎な女の子供だ。王族の血を一滴たりとも引かない庶民の女。 大して高い魔力を持たないあの女が王と結婚できたのはひとえに俺の存在のおかげだった。すなわち、すでに立派な跡継ぎがいるのだから、ということ。 「なかなかによい子だそうですよ」 「従順か。それは良いことだな。だが、ますますをもって興味がわかんな」 視線すら上げずにそういった。本気で興味がわかないのだ。異母だが弟である。だが、庶民の血を持ち、従順で魔力が弱い王族など何の役にも立たないからだ。 役に立たないなら下手にかかわり、コバンザメのように張り付かれたり、情を抱き、身を滅ぼすよりはひたすらに他人を貫くほうが楽だ。 だが、その考えも執事の一言に打ち砕かれる。 「いい魔力の持ち主のようですよ」 「……へえ?」 少しだけ興味がわいた。 「らしいです。お抱えの魔道士がそう判断しました」 「お前はどう思う?」 「……正直なかなかのものだと」 この執事に言わせるのならなかなかのものだ。基本的に魔力とはすなわち竜の力だ。ゆえに竜の後継者やその血を継ぐものたちは大きな魔力を生まれつき持つ。 他の者たちは大気や大地の力を吸い、魔力を抱く。 その差は大きく、ゆえに王族の力は偉大であり絶大だ。 血の濃さが力とほぼイコールの世界にあいつは半分というハンデを持って生まれたわけだ。 その見込みのなさは絶大だ。 だが、この執事がこういう。 「興味がわいた。会いたい」 「……ちょうど良いですな。弟君はこの雪に興奮なされ、外へ出、迷っているようです。ジョイル様」 「相変わらずなやつだ。興味を持ったのも事実だから、な」 にこやかな笑顔を浮かべる執事。彼は幾枚の衣服を重ね着させる。 質の高い衣類は薄くとも十分な耐寒能力があるのだが、わりと心配性な執事を笑う。 かすかな笑顔にかすかに笑って答え、執事は紙と指輪を手渡した。 「これを。弟君の居場所が指し示されております」 指輪をはめると中央に蒼い点がある以外真っ白だった紙に黒い点が現れた。 「……ずいぶん危ないものを持っているじゃないか」 じろりと執事を睨む。常に王族の現在地を知れる方法などあってはならない。誰がこれを使い命を狙うとも知れないのだから。 「いえいえ。弟君だけですよ。知人よりクリス様に手渡されたお守りにこの仕掛けがなされていたようで。彼女は二人を会わせたかったようですね」 「彼女、ね。誰だか知らんがお前もそれに乗ったんだ。害はないんだろうな? その女」 「はい。古くより王族には縁のあるお方らしいです」 「……まあいいさ。弟、見てくる」 「行ってらっしゃいませ。ジョイル様」 それが始まり。雪の日に初めて弟に出会った。 白に染まる中、弟を背に抱いた。 弱く儚く美しく。 角度を変えれば七色に光る宝石を手に入れた。 「あ、ありがとう、にいさま……」 「軽いな。お前。もっと大きくなれよ。つまらん」 なんとなく、てれからついそっけなく、口も悪くなっていた。第一、そういえばどう接していいかがわからなかった。 何が良いかはわからなかったが、弟なのだ。その辺の輩と同じような態度で接してはいけないような気もする。だが、さて。どう接したものか。 悩んで歩いていれば、背中からすう、すうという音がした。 いつの間にか眠ってしまったらしい。 「これが正解なのか」 そのときから弟へはこんな態度で接することが決まった。 その数日後、また会えないものかとこそこそしていると向こうから満面の笑みを浮かべた子供がやってきた。弟だ。 「……ほんとはまだ会ってはいけないんだがな」 そういうと弟はしゅんと、悪いわけではないのにしぼむ。若い頃の王族は暗殺されやすいから、だなんて言えずにいて、黙っていると、「じゃあ、なんてあそこにいたの?」と聞かれた。 「弟に会ってみたかった」 興味本位だったのに。愛してると。だから茨を越えてあなたの元へやってきたと言われた王女のように、ほんとに、ほんとに嬉しそうに笑う。 ……こいつを見ていると笑顔が道具ではなく、感情を表すものだと思えた。羨ましいな、とも思う。 ……母が、あるとき死んだ。 なぜなのだろうか。毒殺だったようだが。 犯人は城のものだったが、バックはわからずじまいだった。薬による尋問にも耐え切り、すべてを乗り切った人物。最後に始末する前にそいつに会ってみた。 ひどい有様ではあったが、ショックはない。 ありきたりな話だからだ。「殺して」そう言うので剣を構える。「誰がやった? 言えば一思いに殺してやるぞ」「……こんな子供なのに、そんな目をするのね。王子は」 そしてそれ以降は口を閉ざしてしゃべれない。だから一刀ではなく、二刀でもって止めを刺した。 さて。犯人はわからないもののこれは困ったことだ。 「王子は、か。第二王子は違うのに、とでも言いたかったのか? だとすれば」 俺を差し置き、弟を王にしたい輩が存在することになる。 俺のなかに溝ができ始めた 強力な偽竜。腕の欠損。後ろに倒れる弟。王座。 様々なものがぐるぐる回って。 俺は王座へ繋がる神竜の契約の場へ走るでもなく、逃げるでもなく、敵へと走る。 力を込めて放つ。引き金を引く。 「神聖な戦いを汚すなっ、クズがっ!」 口から出たのはそんな言葉だったけれど、弟のための行為であるのには間違いなかった。最後の最後の最後で、振り切れなかった。 激戦。激戦。互いの命を燃やし尽くす激戦。 弟とのお互いに遠慮のあるそれとは明らかに違った。そして違いに気づいて笑う。なんだ。最後の最後で、と言うわけではないようだ。 元々、殺せないのだ。俺は。 「なんで!? どうして!」 「……勝負は神聖なものだった。あのような存在に邪魔されるわけにはいかなかった。だから殺しただけだ。……これは返す。俺の症に合わない武器だ」 視線で下に転がっていた銃を指す。クリスは涙を流しながらうん、うんと頷いた。 「知らなかったわけじゃない。 俺が王になれないということを。俺は父にも家臣にも天使にも期待されていなかったということを。わかるか? あの冷たい視線を。知っているか? 疎ましいと思われることの痛みを。俺は運命と戦うことしか生きる意味を見出せなかった」 戦いが終わり、城へと帰る。アーティファクトを用いた義手をはめる事になるそうだが、それの維持に幾割かの魔力が取られるらしい。 王への道は完全に途絶えた。だが、ゆえに未練もない。 中途半端に道が残ることを考えれば……腕がなくなったのは幸運だったのかも、しれない。 「三時が、来ます」 執事はそう言うと一礼。 「二人きりにするつもりか?」 それには答えずに去る。 そしてドアのノック 「あの、兄様……」 弟と入れ替わりに出てゆく執事。昔とあまり変わらない、ちょっとおどおどしてて、でも嬉しそうな笑顔。しかしその顔も腕のない体を見て沈む。冷たくなる。 「俺は……」 俺は…… 「そうでもないな」 弟が、笑って飛びついた。 |
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