back/home/index/next
◆白夜◆

三十五




その1

 

 

 銃を握る手は汗ばみ、小刻みに揺れていた。

 

「僕の勝ちです」

 

 信じられない。そういった類の表情ではなく何故か兄様の顔には安堵に近いものがあったように思えた。

「殺せ」

「殺しませんっ! 更正してもらうんです」

「できる、はずがない」

「いーえ。絶対成し遂げますから。手始めにですね。道徳を身につけてもらいますから。『家族の幸せ』とか『兄弟の円滑な関係』とかそういう関連の本で埋め尽くした部屋に……地震?」

 

 軽い揺れが起こった。そう、ちょっとした揺れ。風竜王国は地盤の安定から地震が起こりにくい土地だ。だからこの揺れに驚くのも仕方がないと、そう思いたいのだけれど。

「魔力が……」

 そう、魔力が、膨大な魔力の気配が感じられる。

 力だけで言うならば竜を継承した王を超えるほどの魔力。場所が遠いせいで圧力は無いものの神聖なる竜の場の前でこれだけの力を感じさせる存在は……異様だ。

 

 ぐががっ!

 小さな揺れだったそれは急激にその振幅を大きくした。口を開ければ舌を噛みそうなほどに大きな揺れ。立っていられない。

 それどこらか体がどこかに飛ばされそうな勢いだった。

 二十秒ほど、だろうか? 揺れが収まる。しかし……

「銃が無い!?」

 どうやらあまりの揺れに手放してしまったらしい。周囲を見渡せば黒い塊があってそこへ走る兄様の姿が――

「あああ!?」

 急いでそれを追うもクリスよりジョイルの方が近い。ジョイルは拳銃を手に取ると引き金を引く。魔術での防御の無意味さを知っているので素直に横に飛ぶ。

 慣れない人間が売った弾だ。カスリもしなかったが……

「ず、ずるいですよ。兄様っ! 僕が勝ったじゃないですかぁ」

「知るか。更正だのなんだのはお前の都合だろう。俺の知ったことじゃない。第一元々勝ち負けは竜を継承した時点でつくはずだ。だから知らん」

「わーん、大ピンチっ」

 

 ジョイルは銃を構えながら隙をうかがう。素人だろうが玄人だろうが近づいて打てば避けようが無い。そして、実際に使わないとしても魔術で防げない攻撃の存在は脅威だ。

「覚悟するが……また地震っ!?」

 しかし今度の揺れはどこか違う。なんというか、天井が揺れ――。

 そう思った瞬間、天井がわれ、巨大な岩が振ってくる。そしてそれとともに一体の竜が降ってきた。竜は落下と瞬間にこちらへ走り出す。

 その巨大な口をがばりと空け、僕を一のみしようと……

「何しているっ!」

 兄様が横から体当たりでもって僕を押し出す。

 しかしそのせいで兄様は竜の前に無防備に体をさらすことになった。竜はそれを見逃さなかった。

 鋭い牙。竜は兄様の左腕を加えると紙でも裂くように楽々とその腕を食いちぎった。

 あがる絶叫。止まらない流血。

 兄様はまだ冷静だったようで魔力で傷を癒す。直すのは無理でも止血の効果はあるだろう。

 偽竜は次の標的を僕にしたようだ。

 ぶんと軽く振るわれた巨大な丸太以上に太いそれが僕に襲い掛かる。しかし体力が減った僕では上手く避けられず弾かれた。

 振り絞った魔力で防御壁を展開できたのは幸運だっただろう。

 空中を二秒・三秒・四秒と飛ばされ、地面に打ち付けられた。その瞬間に全身から力がふっと抜け、僕は気を失った。

 

 

◆◆◇◆◆

 

 

 目を覚ましたときに合ったのは、そう、地獄。あたりは血の匂いで充満していて、その匂いの中には肉の焼けるそれもした。

 周囲を見渡せば兄様の姿があった。

 腕はもう片方もなくなっていた。

 

「なんで!? どうして!」

「……勝負は神聖なものだった。あのような存在に邪魔されるわけにはいかなかった。だから殺しただけだ。……これは返す。俺の症に合わない武器だ」

 兄様は視線で下に転がっていた銃を指す。僕は涙を流しながらうん、うんと頷いた。

「知らなかったわけじゃない。

俺が王になれないということを。俺は父にも家臣にも天使にも期待されていなかったということを。わかるか? あの冷たい視線を。知っているか? 疎ましいと思われることの痛みを。俺は運命と戦うことしか生きる意味を見出せなかった」

 

 僕は横たわる兄様を抱きかかえると力を振り絞り治療を施す。

 右手からは大量に命かあふれ出している。なのに、なのに癒しの力は脆弱で全然傷がふさがらない。

 どうしよう。どうしよう。

 誰か助けてっ! サラさん! セトさん! 僕はどうすればいいの?

「それでも。それでも俺は後ろは見なかった。

あの冬の雪の中、小さく脆弱な存在を背負ったこと、別に悔いはしなかった。……試練だと、そう思うことにした。

お前を打ち破れば王になる道が開けるのだと信じた。手段は選ぶな。どんなことでもしろ。なぜなら運命と戦わなければならないのだから、と。……お前はダメな奴だな。昔と全然変わっていない」

 ああ、ああ。そんな言葉聞きたくないよ。

 まるで死ぬ前の言葉みたいじゃないか。そんなのダメです。絶対ダメです。ああ、ああ。聞きたくないよ。聞きたくないよ。

「涙か……。ふ、ふふふふふ。泣いているお前と、笑っている俺。……そうだな。この瞬間だけは、俺は確かに王だった……」

 そうして僕はひとつの希望を見つけた。

 そう、そうだ。神竜を、風の神竜シルフィードを手に入れればその力で傷くらいは癒せるはずだ!

 僕は兄様を背負う。両手と意識をなくした人間を背負い歩くのは並大抵の労力ではないものの歯を食いしばし前へと進む。

 ぐr、rふ……グルアアアウオウゥ。

 竜が、全身に穴や傷を持った、もう死んだとばかり思っていた竜が起き上がる。ゆらゆらとしていて限界的な感じであるものの、逆にその目はぬらぬらと赤く輝き、恐ろしさを増していた。

 早く、早く祭壇まで行かなければならない。

 同じ全身がぼろぼろ同士だった場合、竜と人はどちらが早いか。答えは竜の方が早かった。

 ずるずると這うように進む竜は次第に距離を詰めていく。

 荒い、はあ、はあという息。生暖かい、血の匂いがするそれが背中に当たる。

 いつ殺されるのかという恐怖と戦いながらも力を振り絞り、歩く。

「死なせない、死なせない。兄様は死なせないっ……!」

 

 祭壇まであと少しだというのに、このペースではそこへ行く前に……。

「……ぃけ。捨てて……いけ。俺…ヲ、捨てて……いけ」

 その言葉は涙を溢れさせるとともに絶望感を払う。死なせない。死なせない。こんな奴に僕も兄様も殺されないっ!

 僕はひたすら前に歩いた……。

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
モドル><メールフォーム><ツヅキ
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
Copyright 2004 nyaitomea. All rights reserved