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◆白夜◆ |
第三十五話 その2 |
歩いた。歩いた。僕は精一杯、一生懸命に歩いた。 けれど無常にも、次第に偽竜の呻きが近づき、ついには体に吐息が当たる。 でも、足は止めなかった。振り向きもしなかった。 だって、兄様を背負っていたから。 遥か昔を思い出せたから。冬の、ある日とは逆に僕が兄様を背負うことが出来たから。 胸の鼓動と、暖かな体温。 どこか懐かしくて、自然と涙が頬をくだる。 けれど、死にたくないのに。あきらめたくないのに。 きっとそれはやってはいけない行動だったのだろう。何か嫌なものを感じ、クリスは後ろを振り返ってしまった。そこにあったのは巨大な竜の開かれた口。 体は硬直し、動かなくなる。 クリスは意識の無いジョイルを強く強く抱きしめる。 「クリスっ!」 言葉と同時に細い何かが入り口の方向から竜へと飛んできた。二条の光は偽竜の目へと突き刺さる。 竜は絶叫した。 「セトさん!」 「悪いっ、遅れた!」 再び放たれる二条の光が今度は開かれた口に吸い込まれてゆく。巨大な舌を光は貫いた。 「セトさん、これってなんですか? あなたは魔術を使えなかったと思うんですけど……」 「さ、な。よくわからんけど、割り箸を投げる要領で出るんだよ。この鉄の割り箸」 「……て、鉄の割り箸?」 竜はその怒りの方向をセトへと向ける。その隙にクリスは前へ、前へと進む。歩みは遅いけれど、前へ。 「クリスっ! すまん! 神竜譲ってくれ!」 (……なんて、言ったんでしょうか? 彼は) 「え、え〜と」 突然の言葉だった。まあ、確かに神竜を狙ったり、憧れたりする人間がいないわけではないけれど、誰もがなれるものでもないし、リスクが高いし。……そう考えてあることを思い出す。 (あちゃ〜。ルカさんの関係者か) どの程度のものかは知らないが、名を知る程度には関係がある。しかも彼ら――セト、マナ、フリージアの一行。変り種には間違いはない。 まあ、それをなんとなく感じて誘ったんだけど……。 「いやほんと、いきなりだけどっ!」 「ご、ごめんなさい〜。ホントごめんなさい!」 僕は王になりたくない。けれど、だからと言って神竜を渡すことは出来ない。神竜とは王の証。数例ある王族以外が継承した場合の中には王族の処刑と言うものがあった。 当たり前だろう。いつ寝首をかかれ、神竜を奪い返されるかわからないのだから。それに、そうでなくてもそうすると僕らは一般人になっちゃうし。 僕はいいですけど、兄様がなー。自決しちゃいそうだもん。 それに、怪我を治さねば兄様はこの場で死ぬ。 セトさんにはもともと魔術の才がない。その人間が神竜を得たところで瞬時に癒しと言う高度な技を使えるかは甚だ疑問だ。 「じ、事情があるんだっ!」 「僕だってあるんですよっ! 大体いろいろ応援してくれたじゃないですかっ」 「そ、それはそれだし。第一あれはクリスとお前の兄の――うぎゃ!?」 あがる叫び声。偽竜の突進。 セトは必死に箸で迎撃するも、怒り狂う偽竜の走りは止まらない。持ち前の運動力で何とかかわし続けている。今すぐ殺される心配はなさそうである。 クリスは顔を前に向ける。進め。 「今ですねっ」 「ああっ! くそっ! どけっ!」 再び歩き出す。そうして、ようやく祭壇を前にした。 神秘的に光る祭壇。その中央に浮かぶ緑に光る宝玉をクリスは手にし、呪文を唱え始めた。 「我、長く聖なる竜の御心、寵愛を受けしウィンディーが長たらんもの。我が父に注がれし竜が思いを我に授けたまえ。我、風が神竜、シルフィードに請い、願う……」 そして続く長き呪。 ……そうして、偉大なる神竜が姿を現した。 『……相変わらず、君たち一族は出会いの挨拶がかたい。我としてはもっとやわらかく、「王になるので力借りに来ました」くらいが望ましいのだがね。まあいいさ。ようこそ。最後の風の神竜の継承者よ』 それは明らかに想像とは違った言葉を放つものの、別な面では完璧に想像どうりであった。巨大な力。その神秘性。 近づいているだけで体が自然と癒えた。むしろ普段より具合がいいほどに。兄様もまた同じく、ケガがふさがる。手は、無くなったままであるけれど。 意識こそ戻っていないものの、その口からは微かな吐息の音が聞こえる。頬や顔にも精気が満ちており、ただ寝ているように見える。実際それと変わらないのだろう。 「……最後?」 『そう、最後の継承者よ。常に悔いなく行動するがよい。時間はまことに短いものだからね』 竜。竜。竜。美しかった。優しかった。どうしてなのだろう。見つめるだけで胸は温かくなり、体は、何か温かな手で包まれているような安心感があった。 ずっと、見つめていたいとすら思うものの、向こうから叫びながら走るセトさんと口を大きく開き、火を吐こうとする偽竜がいた。 「クリスっ! 俺はそいつが必要なんだっ!」 『……ほう、あれは……。クリスよ。継承者よ。さあ、我の力を使ってみるがいい。試してみるがいい。さすればわかるだろう。我が力が世界を支える力だと。そしてその重さを。お前は自覚しなければいけない。竜の後継者としての力を。……それに、君は男の子だろう? せっかく巨大な力を手にしたんだ。使ってみたいだろ?』 そういうと、神竜は片目をつぶる。そのしぐさはどこかかわいらしい。 『さあ、手をあの竜ではない竜の前にかざし、唱えろ。“シルフィード”と』 言われたとおりにクリスは両手を前にかざし、唱える。『シルフィード!』 祭壇に浮かぶ緑の宝玉を大きくしたような、淡い碧の光の弾が出現し、その弾から光が放出たれる。レーザーのように真っ直ぐそれは飛び行き、偽竜を、洞窟をたやすく貫いた。 碧の、滝のように際限なく放たれる膨大な力は偽竜を絡め取ってゆき、その体を消滅させてゆく。 「……これほどまで……」 『これは我が力のもっとも優しき言葉。我が名を唱えるだけなのだから。人の子よ。竜の継承者よ。限りある肉の持ち主よ。自らが手にした力を自覚するがいい。誤ることなく、だが惜しむことなく我が力を使うがいい。……今回は特別に我が力を貸したが、次からは自分でこの力を制御することを覚えよ。コツは小さく、小さくを心がけることだ……む、聞いてないか。まあ、いい』 膨大な力の本流がクリスの意識を奪った。神竜の言葉の途中で意思とは関係なしに気を失い、倒れたのだった。 |
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