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二十四城記 (四川のうた) 
★★★★☆


2009年3月6日より中国全土で公開の賈樟柯(jia zhang ke)監督の新作。公開3日間で賈樟柯監督作品としては興行収入100万元突破という異例の国内上映記録を挙げたと、新京報は伝えています。世界の国際映画祭で数々の賞を受賞している賈樟柯監督ですが、作風と内容ゆえ、これまでの中国国内での興行成績は惨憺たるものでした。ちなみに「世界」が200万元強、「山峡好人(邦名 長江哀歌)」が、わずか150万元強。

今回も、もちろん娯楽作品ではありません。
今回の興行成績を聞いて「世界が変化しているように、やっぱり中国も動いているんだな」が率直な感想。
ドキュメンタリーテイスト独特の作為に関心を持てる方、もしくは中国地方都市(中国だけじゃないか 日本も同様の問題を含んでますね)の“公式中国”の裏の顔(ある意味、庶民の一面の一面)を素直に直視してもいいとお考えの方なら、是非お奨めしたい興味深い映画です。
でも今回の「二十四城記」では、2006年ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した前作、巨大なダムができつつある奉節の町を舞台に逞しく生きる市井の人たちを描いた「山峡好人(邦名 長江哀歌)」のような、解体中のビルがロケットのように火を噴いてスッ飛んで行くとか、労働者の居酒屋で隣になぜか京劇の扮装をした客がご馳走を食べていたりというようなフランス風のアソビは一切なく、淡々と切々と、もっと素直に語りかけてきます。
見た後は、決して明るい楽しい映画ではないのに、何だかスッキリした感じ。「山峡好人(邦名 長江哀歌)」同様、「生きるって、そりゃあ、いろいろあるサッ」、サバサバした逞しささえ残りました。

舞台は、奇しくも「三国志(いま話題の「赤壁」の映画のベースになっているものですね」の英雄、劉備が建国した(221~263年)の都として知られる成都の国営工場。豊かな成都平原の中央にあって、古くから「天府の国」と呼ばれてきたところです。
映画の題名「二十四城記」は、舞台の国営工場跡地に建設中の高層マンション群二十四城」の名前に由来しているようです。さらにマンション群「二十四城」のネーミングは、中国の古詩(作者不詳)に歌われた“二十四城芙蓉花 锦官自昔称繁华”(芙蓉の花咲く 成都二十四城 城は古えより栄えたり)にちなみ“繁栄”をイメージしてつけられたと劇中説明されています。現在は人口1270万人の大都市。市内には唐代の詩人杜甫が暮らした「杜甫草堂」、劉備と彼を支えた諸葛孔明らを祭った「武侯祠(ぶこうし)」もある街でもあります。


ストーリーは
2007年、四川省省都、成都。50年の歴史ある国営の軍需工場が移転し、跡地が再開発されることになりました。同工場は1958年、最先端技術を誇る軍事工場として設立。広大な敷地に最盛期3万人の労働者とその家族10万人が暮らし、学校や映画館まで備えた町を形成していました。しかし、90年代初めに軍事産業が縮小、2年前に閉鎖され、現在、跡地に巨大高層マンションビル群が建設中。物語は、工場で働いていた人たち8人のインタビュー(うち4人は俳優ではありません。おそらく実際の工員だと思います)のみで進行します。

一人目何锡昆(he xi kun)は初期の1964年から働いてきました。退職した現在、仕事の基本を教えてくれた先輩のこと、文革期には休業状態だったことなどを語ります。そして認知症気味の年老いたその先輩を訪ねて感謝の意を伝えます。

二人目关凤久(guan feng jiu)は1935年生まれで、工場では保安課長をしており、退職時には工場の党委員会副書記でした。工場設立の頃の思い出、結果としてうまくいかなかった毛沢東の「三線建設」政策の成り行きを語る…。

三人目は女性修理工だった侯丽君(hou li jun)。バスの中で半生を語ります。母と祖父母とのつらい別れや、息子がまだ小学校6年生の時に、まだ40そこそこで工場からリストラされたこと…。90年代、政府の方針で工場は大量解雇を行い、彼女も解雇されたのでした。解雇された仲間が上司に聞きました。「私は遅刻した 不真面目だった」。上司は「誰も悪くない。でも雇えない」。インタビューは本人の映像です。真面目に働いていた工員たちを抱えきれなかった工場の現実を淡々と描きます。

四人目は女優の呂丽萍演ずる大丽(da li)。もう年配の彼女は社員宿舎から点滴を抱えたまま事務所に出掛け、若い事務員に「最近は仕事場に化粧をしてきていいのか?」と聞き、「当然よ。外資系だったら化粧しないと出勤しちゃいけないのよ」とあきれられる始末。そして、この工場も昔は瀋陽の実家に仕送りができたほどの待遇だったが、現在はその親類から逆に支援を気遣われるようになってしまったと語ります。さらに彼女には悲しい過去の思い出がありました。工場の移転に伴い、奉節から船に乗った21歳の時、幼い息子が行方不明になって、そのまま生死が知れないこと…。

五番目は社長室の副主任だった宋卫东(song we dong)ですが、彼も俳優の陈建斌が演じています。工場の敷地内で育った幼少の頃、他のグループに捕まってポコポコにされかけたが、何とその日周恩来が逝去したニュースが流れて喧嘩を免れたこと、そして16歳で恋をしたものの、すでに工場の羽振りが悪くなり、相手の親側から反対されて実らなかったこと…。当時中国でもヒットしたTVドラマ赤い疑惑」に出ていた山口百恵の髪型をした彼女とのつらい別れを涙ぐみながら独白します。彼はほとんど俳優とは思えないほど、土地の人と同化して見えました(笑)。

六番目は、みんなから「小花」と呼ばれるほど美人だった検査部門にいた女優陈冲演じる顾敏华(gu min hua)。映画「戦場の花」の主演女優に似ていると言われたことを楽しそうに語りながら、不幸な恋愛続きの挙句いまや良い結婚話は来なくなったと…。でも彼女は「独身のままだが後悔はしていない」とキッパリ言い切ります。一人食事する彼女の部屋のTVから1979年の映画「戦場の花」(「似てる」のも当然です。陈冲自身が主演しているのですから…)の映像が流れています。彼女、何だかひと昔前の市原悦子の雰囲気を醸し出してペーソスを誘います(笑)。

七番目はさらに若くなって1974年生まれの赵刚(zhao gang)。現在はTVのキャスターを務めている彼は、かつて工場の制服に憧れ工員になった経験があるが、すぐに単純作業に嫌気がさして辞め、学業に戻ったとか。

八番目はもっと若い女優の赵涛演じる娜娜(na na)。1982年生まれの彼女は両親がここの工員でした。現在は服飾のバイヤーとして何とか生計を立てています。父親は、すでに退職して家でタバコを吸ってゴロゴロ…。かつて「いい大学に入ってほしい」という両親の過大な期待に応えられなかったこともあって、彼女はずっと両親を疎ましく思ってきました。でも、ある日他の工場で懸命に流れ作業をしている母親を見て、彼女は自然に涙が溢れてきました。そして、彼女は黄色いフォルクスワーゲンを乗り回しながら「将来、工場跡地に建つ高級マンションの部屋を買い、両親を住ませるのが夢よ」と快活に答えます。

「歴史は事実と想像の混合物だ」とする賈樟柯監督は、ドキュメンタリーテイストを用いた理由について
「たとえば三国志を想像してみてください。歴史の事実に舞台劇などから浮かぶイメージを加えることで、より史実に迫ることができるでしょう」と答えています。監督は1年以上かけて約100人の労働者を取材したそうです。
「昼間にインタビュー、夜は脚本を練る生活を続けました。労働者の声から中国社会の変遷を解き明かしていくため、より効果的な方法をと探る中で俳優の起用を考えたのです」と。
「世代によって中国の労働者、その家族の価値観が大きく変革していることを対比したかった。50代の女性からは過去の声。女優の赵涛には“中国の将来を担う若者の希望”を体現させた」。

映像が作品である以上、監督のフィルターが掛かっています。ドキュメンタリーこそ賈樟柯監督の最大のクリエイティビティであり、フィクションかもしれない、と考えさせられました。

監督:
脚本:

出演;
    
贾樟柯
贾樟柯

陈冲
赵涛
吕丽萍
陈建斌 etc.