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日本でもおなじみの七夕。日本の七夕は、織姫と彦星が天の川で年に一度だけ出会う恋物語から願い事が叶うようにお祈りする日になっているようですが、もちろんこれもご存知のように中国の伝説が起源の行事です。
でも、おおもとの中国の七夕節は古くは“乞巧節(qi qiao jie)=手先が器用になるようにと祈る節句”とも呼ばれる女の子の節句。元来は恋愛とはあまり関係なくて、農暦7月7日が来ると、女性たちは7本の針に5色の糸を通し、庭に筵(むしろ)を敷いて、酒、肴、果物、菓子などを並べて織物など針仕事が上手になることを祈ったと言われています。そして七夕は「七の日の夕方」という意味ですから、行事は夜に行われました。
現在の中国では、こうした乞巧節の行事はあまり見られなくなりましたが、都市部や香港、台湾では“七夕情人節”と呼ばれる、もう一つのバレンタインデーとなり、恋人たちが一年に一度、お互いの愛を確かめ合う大事なイベントになっています。百貨店では、この期間に向けて様々なイベントやフェアを企画。また、七夕の晩は、彼女に贈る花束を抱えた男の子たちを多く目にするようになりました。
中国の伝統的な祝日で、一番ロマンチックな節句です。
農暦の7月7日といえば、もう夏真っ盛り。かつて晴れた夜空を見上げると、南北に燦々と星たちが煌めく銀河が走り、その天の河の東西にそれぞれこと座の1等星ベガ、わし座のアルタイがひときわ明るく輝いていました(残念ながら東京ではなかなか見られなくなってしまいましたね…)。ベガは、中国や日本の七夕伝説では織女星(織女)。アルタイは牽牛星(牛郎)です。
織女は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘でした。牛郎もまた働き者の牛飼い。そこで、天帝は二人の結婚を認めます。めでたく夫婦となった二人ですが、夫婦生活が楽しすぎて、織女は機をまったく織らなくなり、牛郎は牛を追わなくなってしまいました。これを知った天帝は憤り、罰として二人を天の河を隔てて引き離してしまいます。二人は以降逢うことができず、涙に明け暮れる日々…。
この様子にはさすがのようやく天帝も娘夫婦を哀れみ、年に1度、7月7日だけ逢うことを許します。この日の晩、天の河に天帝が遣わしたカササギが飛来して橋を架けてくれ、二人は再会を果たしました。
でも、7月7日に雨が降ると天の河水嵩が増して、織女は天の河を渡ることができません。牛郎も彼女に会うことができません。日本では星の逢い引きであることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名があるそうです。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれています。そして催涙雨は織女と牛郎が流す涙といわれています。
七夕伝説は、長い歴史の中で中国各地の民話となり、内容的にもさまざまバリエーションを派生させ、広く地方劇や戯曲の題材にもなっています。その有名なものに京劇などで演じられる『天河配』があります。
このストーリーでは、牛飼いの牛郎(牽牛)が水浴びをしていた天女の一人の織女に惚れ込み、彼女の衣を盗んで夫婦となります。でもやがて天の女神、王母娘娘の知られるところとなり、織女は天界に連れ戻されてしまいます。牛郎は織女を恋焦がれ、彼女を追って天界に昇るものの、織女の母でもある王母娘娘によって天の河の東西に引き裂かれてしまう…。羽衣伝説のようなストーリーだてになっています。
また、七夕節の7月7日の晩、中国の農暦(月の満ち欠けを標準とした旧暦ですが、日本の旧暦とは厳密には異なります)では必ず上弦の月となります。そこで、この上弦の月を船に見立てて織女と牛郎が逢い引きするとも言われていました。そして夜更けるころ月が沈み、月明かりにかき消されていた天の河が現れてくる…。でも、現在のグレゴリオ暦(新暦)では、月の満ち欠けは毎年変わるので、現在の日本の新暦7月7日では、月明かりの影響でたとえ天気がよくても天の河がまったく見えないことも多そうです。
七夕節がバレンタインデーなのは?
七夕節は、冒頭でも述べましたが、古代中国では乞巧節という、たとえば裁縫など手先の器用さを乞う宮中女子の節句でした。でも、そもそも女子たるもの、なぜ裁縫の腕を上げたいと思うのでしょう?
古代より女子の願い事といえば、そう古今東西問わず…、よき伴侶と巡り逢うことじゃないですか…。その後、織女と牛郎のロマンチックな七夕伝説が広まり、ますます、こっちの意味合いが大きな比重を占めてきたようです。
でも、日本のバレンタインデーと違って、中国では男性が女性にプレゼントする日のようです(女性がチョコレートを贈らなけりゃならないのは、むしろ日本だけかも…。アメリカでも男性が女性に花を贈ってたけど…)。中国の七夕節は農暦だから、新暦の7月7日よりひと月近く遅いはず。たぶん、今頃(日本の7月上旬)くらいから、贈る彼女の選定とプレゼント選びに余念がないんでしょうね?
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