「い〜つききゅーん! ご飯当番変わってーん」


 いつものように脳天気な声が玄関から家中へと響く。学校の課題を捌くために急いで帰ってきたというのに。
 メモを確認するとこれでねえへの貸しが消えた。明日からこういった無理矢理な労働がなくなるのが嬉しくもあるが、明後日からの試験にため息もついてしまう。

 山崎伊月は姉持ちの四人家族で共働きだ。
 それ故、基本的に料理は二人が担当する決まりになっている。だがここの所、姉はネットゲーにはまっていて、職務放棄も甚だしい状態だった。何でも、危機の際に颯爽と現れ、姉を救ったナイト様に熱中ラブなのだそうだ。

 ゲーム上での二人の会話を覗いてみたが、韓国俳優も裸足で逃げ出す恥ずかしさである。見た瞬間に自分と姉の住む世界の違いに足を一歩引く禍々しさだった。
 姉はどうも、そういう王道に弱く、前回はアニメのなんちゃら先輩にお熱だった感じである。

(まったく。我が姉ながら気持ちが悪い)

 伊月はぶつぶつと文句を言いながら献立を考える。テスト前だ。夜食を食べることも考えて買い物に行かねばならない。

 ――昨日の、豚肉と冷蔵庫に白滝があったはずだ。後は豆腐を買って、肉豆腐を作れるか。んー、大体、残り物で良いかな?

「ねえー。なんか切れ物あるー?」
「ないよー。……あ、肌水とトイレの洗剤補充よろー」
「あんじゃねーか。じゃ、スーパー行ってくら」
「あーい。行ってこい」

 素っ気ない声の後に、ピンクな声で『キャー、ジューダス様ぁ〜』なんて声が聞こえてきてイライラが積もった。



 まったく、どうしてゲームなんかにはまるんだろう。クラスメイトとかの会話でたまに『ゲーム世界で生きてぇ』とか会話を聞くが、ふん。全く何を言ってるんだか、である。魔法とか竜とか下らないにも程があるよ。

 伊月はスーパーで目的の物をぽぽいとカゴに放り投げながら買い物を進める。苛立ちごまかしに大好きなすももをカゴに入れてようやく伊月の機嫌も収まってくる。

 それどころか、帰宅後に行う料理の手順、ほかほかの料理、それを食べる姉の顔を思い浮かべれば今度は逆に気分が浮かれて顔もにやけ始めてしまうくらいだった。

 帰り道の途中にある小さな稲荷神社を横切ろうとすると、鳥居の根本に小さな子犬がいるのに気づく。茶色い毛色のもこもこしたそいつは非常にかわいらしい。首輪がないため飼い犬か、そうでないのかわからなかったが、伊月はあまりのかわいらしさにメロメロになってひらひらとその子に近づく。

「こわくないよーこわくないよー、ほーら、ジャーキーあるよーおいしいよぉー」

 人慣れしているのだろう、近寄られても去る様子はなく、興味を持ったのか、ふんふんとジャーキーを嗅ぎ始めた。

 そこでふと伊月は違和感を覚える。ぐっと顔を近づけ、よく見てみるとどうも配色というか、姿形が犬とはどこか違うのである。体は茶色だが、足半ばからが黒で、しっぽの先っぽは白色。しかも丸いのだ。

「これは、なんていうか、――子狐?」

 思わず漏れた言葉に子狐はムッとしたように目を細めるとたっと走り、賽銭箱よりに奥へとぴょんとジャンプする。がりがりとお堂の戸を引っ掻き始めたのを見て、伊月はその子の元へ駆け寄る。

「あ、引っ掻いちゃダメだ……ぞ?」

 鳥居をくぐった伊月を子狐は笑うように鳴く。その声は妙に耳に響く。あまりに耳に痛いその音に反射的に目を閉じ、耳をふさぐ。


 目を開けたら……そこは見慣れぬ森だった。


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