「え、あー、その、はい、で、出口?」
「向こう。水音辿り歩け。太陽沈む前に出る。さよなら」

 その言葉だけで本気で去ろうとする妖精を何とか引き留めたくて伊月は買い物袋を探ると、ビーフジャーキーを差し出す。伊月の指でふらふら揺れるジャーキーにこの子の心を揺らせるだろうか。

 未知の場所に同じく未知の存在とはいえ、疎通のできそうな存在に見捨てられることに言いようのない恐怖を感じる。できるだけ優しい、だがはっきりと声を出すことを意識する。

「あげるっ! だから待って!」
「報酬? 肉……、食べる物?」
「そう。食べるの。おいしいよ? だからさ、もうちょっと話に付き合ってくれないかなあ?」

 妖精はジャーキーをじっと見つめてはにへらと笑う。
 その様子は幼くてかわいらしい。伊月もまたへらりと笑顔を浮かべる。
 妖精はジャーキーに飛びつくと、抱きつくようにして先端をかじり、その途端、ぴいと悲鳴を上げる。

「辛い。食べる違う。帰る」
「え、そのごめん!? だから待っ……ああ、行っちゃった……」

 現れたときと同じように唐突にふわりと妖精は飛ぶ。水を泳ぐ魚のようにその動きは素早く、森の中に消えてゆく。

 伊月は要請の消えた先を見つめ続けるものの、そこにはただ深い森があるだけで、妖精が戻ってくる気配はなかった。

 ああ、そうか、異世界的食文化の違いか。
 確かに、花の蜜とかで生きてそうな妖精にジャーキーを上げるなんてダメ判断にも程があったかもしれない。ああ、くそ。

 伊月は家のジャムが切れそうで切れてなかったことを悔やむ。
 妖精に見捨てられた現状に伊月は愕然としたが、チクリとした腕を虫に刺された痛みに我に返る。ばしんと叩くと虫はあっけなく死んだ。腕には血が付いていないので、まだ吸われたわけではないようだ。

 冷静になってくると妖精の言った警告が頭に響く。妖精がいるのだから、まあ、口にしたくもないが、モンスターがいてもおかしくないし、そうでなくとも、この森なら野生動物だって豊富だろう。

 モンスターと動物の違いはさておき、このままここにいるのは賢明ではないように感じてきた。伊月はポケットや買い物袋を漁る。食料ばかりで役に立ちそうにない。調理なしに食べたいものは少ないが、全く食べられないわけでもない。とりあえず、森から出るまでの食料は確保できたようだった。

 さらに、伊月はポケットから家の鍵を取り出す。鍵で動物とかを撃退できる気はしないが、大切なのは鍵に付いているキーホルダーである。

 犬が抱えるフリスビーにはめ込まれているのは方位磁石だ。これを妖精の指さした方向に合わせる。磁石はぐるぐると回ったりせず、体の揺れに微かに揺れ続けながらも、一方光を指した。その方向はちょうど北だ。これでどうやら歩くうちに方向を見失うことはなくなった。

 なんだ。意外に何とかなるモンじゃないか。

 姉に馬鹿にされても、友人にからかわれても使い続けたかいがあるというものだ。人生、何が役に立つかわからないものである。ついでにとばかりに伊月は地面に落ちていた太い枝を拾う。伊月の腰程まである握りの良い枝をふるってみる。
 風を切る音がして、何とも頼もしい。
 伊月はうんうんとうなずき、方位磁石の指した方向へ歩き始める。
 進む先を枝で半円を描くように払う。蛇のような危なそうな生き物がいないことを確認してから進む。

 その足取りはさほど速くはないがしっかりとしていて、伊月は段々と勇気がわいてくるのを感じていた。


back/next




-3-